「キリシタンをめぐる3つの背景」 別の僕のブログから転載

キリシタンをめぐる3つの背景」弥永信美
日本になぜどのような意識で宣教師たちは来たのか、そして死をとしても布教するという強烈さをなぜ持つことが出来たのか、それが僕は疑問だった。その疑問にヒントを与える論文となっている。
ここでは、「日本のキリシタンの背景を3つ」上げている。
著者は、その一つを「当時の反宗教改革文化を覆っていたバロック的心性」(10p)だとする。別な言い方をすると「装飾過剰の一種の残酷美」「異様な感性」だ。そして同時にあったガリレイ、ベーコン、デカルトに示される「強い理性主義」がそこに付け加わる。
2つ目は、日本宗教の解釈換えでキリスト教を日本で普遍化しようとした千斎ハビアンの「妙貞問答」などの視点。日本の宗教論理もキリスト教の論理と同様のベースを持っているとし、だからキリスト教は普遍的だとする論理だ。3つ目は、その逆を言う平田篤胤に示される論理だ。「古代神話の『絶対的な正しさ・原初性』」(17p)がベースにあり、それが歴史や地域差を貫いて各種宗教として現前するということだ。
ちなみに、2と3は日本の本地垂迹説に近いものがあり、実はこの本地垂迹説あるいは反本地垂迹の定着が他宗教のスムーズな導入を可能にしたと僕には思える。筆者は指摘してはいないが、ハビアンが批判対象としたのはまさしく反のほうの吉田兼倶だったというのにも示されていないか。
それより僕が興味を示すのが、反宗教改革バロック性ということだ。オスマンによるウイーン包囲、ドイツ農民戦争、シュマルカルデン戦争とユグノー戦争。あるいは30年戦争。ローマ帝国崩壊後、ヨーロッパ文化に刻印されるものはこの宗教戦争と襲い掛かるペストだった。それは、ヨーロッパの諸地域を歩き、そこに残されている祭りや建物、説話をみるがよい。こうして、対立者を肉体的に激しく抹殺する、それによって自分の生命や意識を高揚させる意識は蔓延した。特に守りの立場であった反宗教改革派には、相手を傷つけること、心性を傷つけるように激しく立ち上げること、これがエクスタシーとして吹き上がり、それが美意識として立ち上がるのではないか。自傷行為が美としての性的でもあるエクスタシーまで高められなくては己の身を賭した無知の地での命をかけた布教活動はありえなかったのではないかと感じる。身体を切り刻むことが美であり尊いとするバロック的異様さが確かにポイントだと思う。
エクスタシーを理性の論理で説く、それが布教だったのではないだろうか。このエネルギーが大航海時代の幕開けという通路を通って東洋と新大陸に噴流として流れ込んだのではないか。

キリシタン文化と日欧交流」勉誠社、09年11月所収。

2007年10月24日 (水) 2007年10月23日 (火) 2007年10月16日 (火) 2007年10月10日 2007年10月2日 (火)

ネアンデルタール人類の謎」「ニ・ニ六事件 全検証」
奈良貴志の著作。著者は慶応の考古学専攻出身。パレスチナを通って出アフリカを果たしヨーロッパに展開したネアンデルタール人は、我々第二次出アフリカの新生人類クロマニヨンとヨーロッパで同居することになったが、死滅してしまう。そして、唯一、我々クロマニヨンが生き残り栄華を極めることになる。どのように生活していたか、どのような心を持っていたのか、などの疑問に答える形式で論を進める。しかし、著者は確定的なこと以外は喋らないという、きわめて科学的な観点に立ったために「あるいはこうしていたかもしれない」という類の物言いはしない。そのため、設問に明快な解を与えるということではなく叙述としては甚だ消化不良のような展開になっている。しかし、それはいたしかたない。
いずれにしても、ネアンデルタール人の時代まで複数のホモ属の人類が並存していたということは確認しておきたい。
「ニ・ニ六事件 全検証」は北博昭の著書。93年に東京地検倉庫にあった事件の公判記録が公開された。それに基づく事件の解明である。
皇道派上層部の逡巡・裏切り、事件を作った安藤・磯部・栗原・野中など青年将校のあまりにも杜撰な計画と場当たり的な行動、そして状況に身をゆだねる稚拙な軍事技術と政治技術。安藤輝三隊を主力とする混成部隊のあまりにもひどい無統制ぶり、西田税北一輝が事実上決起に参画していないが、首謀者として検挙されていく悲喜劇、石原莞爾の一時的逡巡と最後の反乱部隊断固軍事制圧の意志。30代天皇の怒り、当初は安藤との個人的友情から行動を注目されていた秩父宮の怒りと鎮圧への強い意志。
結局は、反乱部隊もそして軍部主流も、天皇も同じ狢であり、特別な差異はなく、主権者としての天皇とその制度に縛られていたゆえの茶番に結果していくのであった。結局は皆天皇ファシストだったのだ。でもおもしろかった。



「脱法企業 闇の連鎖」
有森隆+グループK著「脱法企業 闇の連鎖」
グッドウィルグループ加ト吉ICF大林組平成電電IXIシルバー精工アドテック中央青山監査法人などの企業犯罪を解説し、暴く本。まずは面白かった。そもそも、あやしそうな企業経営者はその顔に怪しさがにじみ出ている、というのはうがちすぎだろうか。グッドウィルグループを率いる折口雅博に人品のいやしさがにじみ出ている。青年実業家と持て囃し、経団連の理事にまでさせた財界人の人品の低さも知れたものだ。経営会議では王位継承順に席が決められており、営業成績が悪い所長は立ったまま面罵されるというところに、人品の卑しさがあらわれていないか。
コムスン=グッドウイルの介護事業の大半を継承するニチイ学館もいやしい会社だ。厚労省雇用保険事業の職業訓練業務を受託し、高い教科書を買わせ、教育をし、最後は医療事務試験を受けさせ、自社に登録させて、病院に派遣するというシステムだが、東北などでは、700円に届かない低い賃金で派遣しているのだ。
そういう会社が介護の最大手に躍り出たわけだ。
また、グッドウィルグループが買収したクリスタルは、ネットカフェ難民の生血を吸って営業している会社だ。

ところで、日研総業も調べて見る価値がある。
同社は、81年創業で、代表取締役会長 清水 勝子 、代表取締役社長 清水 真一 である。北海道・東北に19、関東甲信越に31、東海に14、近畿北陸8、中国四国に11、九州に7箇所、全国82箇所に事業所を展開している。本社は東京大田区蒲田。他、採用事務所・ジョブイン・プラザというのを、例えば北海道では9箇所、青森3ヶ所、秋田3ヶ所、岩手2ヶ所、宮城2ヶ所と研修セーター、山形にはなくて、福島に3ヶ所あり、都合、北海道東北には23事務所がある。



映画
善き人のためのソナタ」「ミュンヘン」「ルワンダの涙」「ルムンバの叫び」
最初のものは旧東ドイツの監視機関シュタージの監視活動と監視される舞台監督の話。ずいぶん露骨な監視活動開始で本当かいなという疑念があったけど、旧社会主義諸国は多かれ少なかれ極度の監視社会であったわけだ。理念を掲げてソ連の軍事力の下での政権樹立や暴力による政権樹立することは結局は暴力的な人権抑圧を伴う政権維持へと向かうのかもしれない。そして、そもそもプロレタリア独裁前衛政党論は多数者支配という統治機構の実態的関係を表現するものから事実としてのパルタイの抑圧的機構へと変じていくのだった。多数者支配は、多数者の利益の実現でしかないのだが、それゆえ民主制度を前提とするのだが、多数者の利益を代弁すると強弁するパルタイの権力集中に堕してしまうのだった。だから、シュタージの上官の無理念や大臣の無理念が現れることとなる。しかし、89年のベルリンの壁崩壊を受けてシュタージの窓際族が職場放棄をしていくさまはそうだったのだろう。さらに、言わば悪役の旧大臣と悲劇のヒーローの舞台監督が旧東ドイツの崩壊後立ち話をするというところに、いい崩壊を遂げたのだと思わせるところがある。旧被抑圧者による旧抑圧者への復讐はない。それが民主主義なのかもしれない。そして、シュタージ資料の全面公開もすごい。その復讐ということがないということを前提として全面公開されている、ということだ。抑圧されていた者は、よくもしてくれたなと昔の抑圧者に復讐の念を持ち抑圧の実態を調べるもの、と思うのにそれがない。
主題はシュタージ要員が監視活動を通じて自分がしている活動の不当性を認識するに至るということだった。
ミュンヘン」は72年のハタハの非公然軍事部門のブラックセプテンバーによるミュンヘンオリンピックイスラエル選手団宿舎占拠・人質事件の顛末の映画。イスラエル・秘密情報機関モサドによるこの事件への復讐を担うことになった男の物語だ。男は復讐の殺戮の過程で、共に殺しあうことに疑問を持つにいたる。でも・・・男に殺戮対象者の情報を提供し続けたルイとその一族はどのように一団だったのだろうか。そして男はそもそもどのようにしてルイに接近することが可能だったのだろうか。
72年の事件とモサドPLO非公然軍事組織との相互殺戮、岡本・安田などが参加するPFLP・GOに支援された日本赤軍によるロッド空港事件などを経て、74年にアラファトは国連に招かれ演説するに至ったというのも事実なのだ。ようやくパレスティナが世界の注目を浴びるに至ったのだった。
ルワンダの涙」
イギリス人の民間支援者の眼を通したルワンダ内戦発生のさま。94年にフツの大統領を乗せた飛行機が墜落し、ツチへの復讐心に燃えた虐殺が始まったのだ。「ナタで殺されたくはない、あなたの銃で射殺してください」と国連部隊のベルギー将校に訴えるところに虐殺のすさまじさが現れている。結局、国連軍は無力であったのだった。
「ルムンバの叫び」はフランス映画
ルムンバがなぜどのようにしてコンゴ独立運動の指導者となったのかの説得的な説明がなかった。そのため、前半はきわめてつまらなかった。しかし、旧宗主国ベルギーの画策によるクーデタが起きてルムンバ一は家族とともに逃避行を余儀なくされる。途中でつかまり、空港からトラックに乗せられる。僕はその時の悲しそうなルムンバの姿を白黒のテレビニュースで見て衝撃を受けたのだった。ルムンバは、その後、白人傭兵などの手によって殺害されたのだった。ベルギーも結構悪いのね、って感じだ。ルムンバ役の俳優はルムンバに似ていた。



(水) 荒井一作亡くなる
荒井が心筋梗塞で10月9日になくなったと清からメールがあった。突然の知らせで声も出ない。
早大ML研で一緒にい、そして、早大学生学術文化会議で一緒だった。彼の稲城の実家にも何回か泊まりに行った。卒業した後、多摩川河川敷で草野球もした。
彼が助監督をしていたときには新宿西口のボロアパートに住んでいたが、留守にも関わらずその奇妙な部屋に行ったこともある。
荒井は、しばらくして、打海という名前で作家デビューを果たしたのだ。同じ様にババの電話ボックスで突然死したノチのことを、荒井は書くと数年前言っていたのに・・・
こうして、あの目くるめく学生時代の友人はポツポツと姿を消していくのだ。
ショックと悲しさ・・・
明日の新聞の死亡欄には出ているのだろうか・・・



神聖ローマ帝国
菊池良生の著書。なぜに「神聖」なのか、そしてなぜに「ローマ帝国」なのか、それを紐解く。カロリング朝フランク王カールの即位は西ローマ帝国の再建と目された。ここでは権力基盤の補強を策するローマ教皇レオ3世が西ヨーロッパの支配者として現れたカールをローマ・バチカンで深紅の衣をまとわせ帝冠を授けたのだった。これは、ローマ帝国の正当な継承者であるビザンツに事前の承諾を受けていないものであり、それはなぜか、そして黙認したビザンツにはどのような事情があったのかは、菊池は語らない。そして、教皇からの受冠は、ビザンツでもコンスタンチーノプル大主教からの受冠としてありえないことではないが、それは「元老院と市民の歓呼」を伴うものであった。つまりは、ローマの政治原理の枠が必要であった。それなしの受冠にカールの不安はいかばかりであったか、知らない。そして、偽証門である「コンスタンティヌス大帝の寄進状」を根拠に受冠を取引として教皇領の寄進を受けたのであった。まことに、レオ3世の政治的策謀の能力は高かった。こうして、教皇からの受冠が形式として確立する。
そして「神聖」の問題は後で書く。今日はここまで。

2007年10月1日 (月) を振り返る

「アジアの歩き方」
鶴見良行のこの本は98年に出されたもので、僕もそのころに買って一度読んだのだった。再度、読む。著者は「バナナと日本人」でつとに有名だ。バナナは幹を持っているのではなく、いわば、大きな草なのだった。このことから言えば、ムーミン谷のムーミンの家の周りに熱帯植物の種を蒔いて一夜にして突然熱帯植物生えたのだったが、椰子の木のような幹にバナナがたわわになっている、という画像はウソだしバナナは種で発芽するものではなかった。ムーミンの童話のことはここでは問題ではない。たまたま、ムーミンの心温まるアニメを今日見たのだった(確かに白鳥英美子の主題歌はいい)。
日本のバナナはほとんどフィリピンの農園から来たものだ。特に、ミンダナオのダバオが主流だ。その昔、沖縄移民を中心とした日本人によって麻農園が開かれ、戦後に日本人がいなくなった農園にアメリカ系の大資本などがバナナ農園を開いたのであった。ちなみに、最盛期にはダバオには2万人の日本人がいたという。ミンダナオは大きな島で、そこから西にはスルー諸島があり、すぐにボルネオのサバ州につながって行く。かのダイビングスポットのシパダン島に連なる島々でもある。
シパダンの北方にはサンダカンがあり、カラユキさんとも関係していく。
とすれば、サバに残る日本軍などの足跡とダバオの農園が地理的イメージの中で繋がってくるのだった。
そして、そこは、イスラムの東端であり、バナナはイスラムとも繋がっているのであった。
バナナ農園で1キロ4円で働く人々のダンボール生活なども含めて僕らはこれらのことを決して忘れてはいけない。
現在のフィリピンの政情とそれへの日本の責任も含めて。
さて、今晩、僕は「チキータ」のフィリピン産バナナを1本食べた。「チキータ」はフィリピンの流刑地ダペコで受刑者を使用して作っている。だから安いのだ。

2007年9月3日、9月19日、

漫画・麻生とか・・・・
アベは、あまりにも疲れすぎて辞任の意向だとし、後継にはcartoonこと麻生がなるだろうとCNNは解説したのだった。それは数日前のことだ。ヘラルドトリビューンのインターナショナル版9月15・16日号では、麻生は名うてのホーキッシュポリティシャンであり、アジア軽視の問題性を報じていた。しかし、ニューヨークタイムスもフランスのルモンドもあきれ果ててか、詳細な記事は掲載していない。
ヨーロッパでは、サルコジのイラン問題についてのタカ派的な発言と、FIのスパイ事件とが大きく取り扱われ、くだんのHerald Tribuneの一面を飾ったのは他でもない、サブプライムローン問題によるイギリスのNorthern Rock銀行のロンドン支店での取り付け騒ぎだ。
日本の政局は5面で取り上げられているにすぎない。

ちなみに、ドイツのメンケル首相の選挙基盤で開催したサミットについての批評漫画で日本の首相として描かれたのはギョロ目のアベチャンではなくて1年前に退陣した髪振り乱す小泉の顔だったというのは、アベチャンの影の薄さを現してはいたのだった。なんだか「神」というあやしい水のペットポトルを手放せなくなっていたアベチャンの最後にすがるものは、やはり自分ではなくて「神」でしかなかった。取り巻きの高崎の八木も「成長」の「家」だかなんだかで拝んでいた人物だし、アベチャンそのものも日本の炎の行者の神だか隣の「文」キリスト系の神だかしらないものにうつつをぬかしていたのだから、最後は、神の水に行き着いて水に浮かぶうたかたのように消えてしまったのだった。

外為市場への日銀の介入について
日銀の外為市場への介入は、意思決定は財務大臣。日銀は財務大臣代理人として、介入の実務を担っている。

1、日銀金融市場局外国為替平衡操作担当が情報収集、毎日、金融市場局外国為替平衡操作担当に報告。
2、急激な外為変動期に財務省国際局為替市場課から金融市場局外国為替平衡操作担当ディーリング・ルームへホットラインを通じて連絡。
3、財務大臣が介入の決断を下すと、財務省為市課から介入実行の具体的指示が伝えられ、介入が実施。
4、日本銀行国際局のバック・オフィス(バックオフィス担当)に業務が引き継がれる。
5、外為ディラーを通じて売買
6、外為ディーラの約定内容の確認
7、売買の外国通貨発行の中央銀行の預け金勘定間の振替えによって決済。例えばドルの場合は、ニューヨーク連銀にある日銀の口座の内部での決済となる。

なおドルを売る場合の資金は財務大臣が管理する政府の「外国為替資金特別会計(外為会計)」の資金が使われる。ドル買いの場合は、政府短期証券(通称FB)を発行して調達した円資金を対価にドルを買い入れる。
政府短期証券は、金融市場では一般にFinancial Bill (FB)呼ばれ、国の一般会計や特別会計の一時的な資金不足を補うために発行される。償還までの期間は60日程度で、額面より割り引いて発行される割引債券で、この発行価格と額面価格との差が利息に相当する。
ただし、政府短期証券(FB)は、入札参加資格を持つ金融機関や日本銀行のほか、上場会社などの機関投資家に限って購入できる国債で、個人投資家は直接購入することができない。外為介入のためのFBの場合は、日銀引受となることが多いのではないか・・・

ところで、外為ディラーは、短資会社の外為子会社だが、現在では現在は名古屋短資がスイス(ローザンヌ本社)のトラディション・グループの傘下に入って設立されたメイタン・トラディション(85年設立)とトウキョウフォレックス上田ハーロー株式会社(99年に(トウキョウフォレックスと上田ハーローが合弁した)の2社のみになっている。
ちなみに、上田ハーローなどの沿革を見ても、85年にドル以外の通貨取引が日本で出来るようになり、また国際的なインターバンク市場と接合したということであり、85年のプラザ合意がイギリスのサッチャーのビックバンのみならず、日本の本格的な外為市場の確立の画期となったということがわかる。